わたしが赤木智弘を応援する理由 その1

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赤木智弘を応援する理由は、3つある。1.サヨク批判 2.車社会批判 3.大学化批判(社会の大半が大学の価値観でおおわれる現象) 
 今日の記事では1.サヨク批判をとりあげる。

 赤木智弘さんは平和を唱えるサヨクを批判しておられる。この点にわたしは共鳴した。十代のころからわたしは、サヨク系コミュニティに出入りしており、その中で、若い世代への切り捨てを目撃してきたからだ。
サヨクと言われる勢力は、自由のほか平等や民主、それに平和といった諸価値を唱えている。ただし、そのコミュニティの中ではどうだったか? それは上の世代の男性正社員同士の平和だった。若い世代や貧乏人等は排除されてきた。この問題意識をわたしは彼と共有している。
 サヨクの言う「労働者」の中に、サーヴィス産業で働く者たちは入っていない。なのに、なぜかサヨクは若者は仲間だと思い込んでいる。いや、体のいい手下・下請け・または奴隷くらいに思っているのか…。サヨクには、フリーターが見えていない。不安定雇も認識できていない。そのため、プレカリアートの声をはねのけたり、ねじ曲げたりしている。
 かつてバブル期に、町工場がアジアに飛んでゆき、現地の人間を使い捨てる搾取工場になっていった。そのころ、サヨク論壇の一派、吉本隆明派は消費社会が人々を自由に平等にしていると、まともな雇用や労働のなくなる消費社会を賛美していた。
フェミニズムは、高学歴女性のキャリア組化を礼賛するも、社会の学校化による社会の分極化の問題を考慮しなかった。労働組合は、正社員の雇用を守るために非正規雇用を切り捨てていた。
 こうしたサヨクの動きは、雇用破壊にあえぐ人々にとって、主観的には善であっても客観的には悪である。まさに赤木さんの本のタイトルどおり、『若者を見殺しにする社会』なのだ。
 「自分は進んでいる。だから他人を目覚めさせてあげよう」とする啓蒙のスタイルをサヨクは崩さない。それでは永遠にフリーターを理解できないだろう。
 そういったサヨクを打ち破る挑発的反逆。それが赤木の「論文」である。これは、支持するほかない! 読者は、赤木論文に何を見いだしただろう?