けっきょく、「学歴社会」ですか。〜「ネットカフェ難民の8割が低学歴」から見えてくるもの。〜

1.貧困と学歴の直結
kanameです。

最初に、立場相反可能性を指摘されないよう情報を開示しておきます。ボクは中卒です。「成績が悪いから」最終学歴は高校1年で中退となっております。即ち、自己責任によって低学歴になっています。

さて。

厚生労働省の調査によると、いわゆるネットカフェ難民の学歴は、中卒/高校中退が4割で高卒を含めると8割だそうです。このデータの信頼性を巡る議論はあるが、わざわざ高い数値を発表する理由もないし、湯浅誠氏(NPO自立生活サポートセンター・もやい事務局長)もそう言ってるし、だいたい妥当なセンなのであろう。当然、残りの2割は大卒以上となる。

関連:
マル激トーク・オン・ディマンド 第339回(2007年09月27日)「貧困は自己責任でいいのか」ゲスト:湯浅誠
http://www.videonews.com/on-demand/331340/001160.php

貧困層全体の割合がどの程度になるのか把握する術はないが、ネットカフェ難民に限定して学歴が低学歴になる理由はないため、やはり「貧困層=低学歴」と考えざるを得ない。だとすると貧困問題の背景には、此の期に及んで「学歴社会」が存在している可能性が指摘できよう。

とはいえ…例えばここで、「あなたは学歴社会が存在していると思いますか」と問うたとする。回答は予測できる。大半の人は「かつてはあったが今はもうない」と答えるハズ。そうなのだ。「学歴社会」は過去のものになったハズ。マスコミも文化人もそう伝えている。ボクも信じて来た。それなのに「8割が低学歴」とは一体、何なのか?どう説明すれば良いのか?

ボクは教育の専門家ではないし、素人である以上、学術的な論考はできない。だが幸いにというべきか、中卒という属性を得ているため実存的存在からの推測はできる。「当事者なので主観がまじってしまい中立的ではない」とジャーナリスティックな方々から批判されることも予想できるが、こればっかりは代替がなく、仕方ない。

2.大卒が落ちてくると低学歴に迷惑が掛かる

当エントリのタイトルが若干、刺激的であるため、赤木論文に対する反応がそうであったように「タイトルにマジ<ギレ>レスして終了」するタイプのタコ野郎が続出するかもしれない。そうなる前に「学歴社会」という言葉の意味合いから説明する必要があるだろう。

ボクは従来型の「学歴社会」は崩壊したが、崩壊前の残滓が「人」を媒介として跋扈しており、結果としてある種、新しい「学歴社会」が登場したと考えている。どういうことか。従来型の「学歴社会」とは、○○大学を出たから偉い/偉くないといった文字通り学歴に左右される社会のこと。新しい「学歴社会」とは、正確に言うと「大卒」という記号を獲得していることを大前提とした新卒至上主義=大卒前提主義、或いは、そうした「大卒→就職」のエスカレーター方式を新しい「学歴社会」と定義したい。“歴”という漢字が適切かどうか微妙だが今のところ他に言葉が思いつかないので許して頂きたい。

(この点を細かく紐解くと幾らでも残滓を発見できる。1つだけ付け加えておくと、従来型の「学歴社会」が崩壊したところで“人”の体質は変わってなさそうな現実がある。なにしろ今、企業を仕切っている連中の大半が従来型の「学歴社会」を通過しているのだからね。<にも関わらず>“これからは能力主義だ”などとホザくという巨大矛盾がある。お前の“能力”はいつ問うたのでしょうか。そーゆー奴に限って面接官になったりするからホント最悪だよな。さっさと淘汰されてくれ。ってね。)

ここで重大な問題が発生する。エスカレーター方式で上り詰めて就職できる人は結構だとして、では踏み外した人はどうなるのか。例によって、再チャレンジの機会がないから大変でどーのーこーの。色々な問題があるのだろう。それは他の人が議論しているから省略する。

(低学歴について注目している人が極薄なのが気になるが…)

ボクが言いたいのは、大卒者が就職すれば、その分、低学歴の人は就職しにくくなる、というコト。当たり前である。無制限に雇用先があるワケじゃないからだ。この構造は昔からあったのだろうが、最近になって状況が悪化しているようだ。『株式日記と経済展望』の指摘を引用する。


今は大学全入時代であり大学さえ選ばなければ誰でも大学生になれる。そしてトコロテン式に卒業してくるから学力は中学生なみの大学生も珍しくはない。求人難だから有名大企業に就職する事も以前よりは難しくはないだろう。大手金融機関など軒並み1400人以上の大量採用でバブル期を髣髴とさせるほどだ。このように大学を出て一流大企業に就職して目出度しめでたしになればいいのですが、3年以内に30%〜90%の人が辞めてしまう。終身雇用制度が空文化して中高年社員がリストラされて人件費の安い新卒が求められているのでしょう。大卒のブルーカラー化は必然であり、中卒や高卒がやっていたような仕事を大卒にやらせている。だから定着率も落ちるし大卒でないと出来ない仕事はそんなにあるわけではない。私も銀行では金勘定や預金集めばかりやらされて、資金運用といった仕事は希望しても無理だった。無駄に20代や30代を過ごしてしまったように思う。

<例によって>大卒者に注目しておいて低学歴などの「それ以下のゾーン」は見事にスルーされているので、補足が必要だろう。ポイントはここ。「中卒や高卒がやっていたような仕事を大卒にやらせている」という箇所。追記しなければならない。「で、あるから中卒や高卒は尚更、仕事がなくなる」、と。しかも「学力は中学生なみの大学生も珍しくはない」とすれば、なんとも厄介な話だ。ただでさえ厳しいのに上から更に降ってきやがった。<なんと迷惑な!>

大学生=中学生並み説については、不快に思われる人もいるだろうが、大卒者に限って「学歴社会は崩壊した、大卒だろうが低学歴だろうが関係ない、むしろ低学歴の方が社会的ノイズを受けているぶん耐性があってマシだ」という言質が目立つのも事実。(昔から某東大教授ほか、色んな人が言ってる)これに対してボクなんかは「その傾向があるのは間違いないが、一部の専門分野などは場合によっては是々非々になる」と反論したいところだ。まぁ、そんな話はいいとして。

3.低学歴は“能力がない”

問題の本質はここから。

言うまでもく…大卒者が就職できないことを、もし単体で切り抜いて扱ったとすれば単なる自己責任である。同様に成績が悪くて中卒になっているボクなどの低学歴も自己責任である。(成績や偏差値の重要性の是非については面倒なので省略)

だがしかし。不公正な原理によって低学歴の人が追いつめられているとしたらどうか。自己責任だろうか?違う。不公正な制度に乗っている連中に「責任」があるハズだ。

低学歴の人にとって大きいのが「大学に行く行かないで極端な“能力格差”が発生している」問題である。想像してみて欲しい。仮にやる気があったとして、いったいどこで勉強すれば良いのか。どこでリソースを習得すれば良いのか。(人脈ネットワークの構築にも参加できない) 再チャレンジとやらの機会は無いんです。言い換えれば“能力がない”んです。下手すると永久にない。まさに“能力格差”である。(これはカギ括弧付と理解してもらいたい。) つまり従来型の「学歴社会」が崩壊して低学歴の人にもチャンスが増えた…なんていうのは、完璧なフィクション! これが新しい「学歴社会」の真の側面だ。

4.低学歴に自己責任を押しつける人々

ですから「大卒だけど就職できなくて、大変だ」なんて寝言にしか聞こえない。彼らには“下には下がいる”現実を直視して欲しいですね。(詳しく知らないため書けないが、日本には中卒以外にも、多くのマイノリティが存在していることを忘れてはならない。下?から見れば、例えば就職氷河期世代なんてものは簡単に相対化できるワケです。)

はっきりいって…大卒者などによる「学歴社会崩壊はした」「低学歴でもスゲー奴はいる」といった類の“綺麗事”言質は、新しい「学歴社会」を“逆手”にとったエクスキューズであり、自己肯定のために作り出したデッチアゲ・ロジックにしか聞こえない。

あえて挑発的な物言いをすると「本当に公正な制度にすると低学歴にもチャンスが出来てしまうため能力のない大学生のチャンスが失われてしまう。そうならないよう上記発言のように、低学歴の人に結果として“自己責任”を押しつけているんじゃないのか?」と。

だとすると、既得権益(学歴社会!)を守る守旧派ではないのか? 意図がどうであれ、そういった機能を自動的に果たしている。(ここでは既得権益=悪という認識では使ってません、念のため)

その結果が一番最初に書いたような「低学歴=貧困層」という状況に繋がるのではないかと、考えています。

5.公正という不公正

このような状況の中、多くの人が「公正な制度にしようぜ」と言う。特に就職氷河期世代の大卒の方々なのだろうか…「中途採用を増やすべきだ」という主張がよく散見される。まったくの正論だろう。そう。公正な制度にすれば良いのだ。けれど、記者クラブ問題を巡る議論がそうであるように、古い制度を解体して公正な制度にすると良くなるとは限らない。

具体的に言うと、明日いきなり「公正な市場原理」によって雇用が流動化したとする。実際に完全なる能力主義の時代になったとする。その場合でも、低学歴の就職難は続くだろう。能力ないんだし(笑)人も変わってないんだし(笑) それが本当に「公正」なのかどうか。

ベーシックインカム議論と同様の構造が当てはまる。もし公正にしたとして、一番最初に相対的に損をするのはどこの誰か、ということだ。損をする人が真に公正な制度に賛成するのか。或いはしたとして、公正な制度・法理、に基づき動くのか。結果は見えている。何故ならば、100%キレイに生きている人はいないから。多かれ少なかれ既得権を得ているでしょ。

1つ言えることは…気のせいか、ボクの言う既得権益者と、赤木氏が批判していた「サヨク」がモロに被るということだ(w 高学歴!成金!大手労組!反戦平和!

むしろボクはウヨクの人々の方に共感を持つ。小泉的な中途半端ネオリベではなくて、真の新自由主義に期待をしてしまう。仮にも公正であれば構わない。それが赤木氏に微妙なラインとはいえ共感し、支持「せざるを得ない」ボクの本音です。

6.貧困解決サヨクも「わかりあい主義」

何故「せざるを得ない」か?を説明します。

赤木問題について言及されたサヨクのテキストを読むと、幾つかのパターンに分かれていることが判明します。「タイトルにマジレスして終わるなど、読解力がない」「じゃあこういう意味なんですね?それは間違ってます!と、勝手に赤木の主張を追加しての独り相撲」「共感できないし、間違っている!」など。前2つは論外として、気になるのは最後のやつです。

赤木氏の置かれている(主に経済的)境遇に「共感する“から”支持する」であるとか「共感しない“から”支持しない」というタイプのコメントが異様に多いんです。ほとんどコレです。逆に「共感する“けど”支持しない」であるとか「共感しない“けど”支持する」は少ないんですよね。

どーゆーことでしょう?ボクは思うに、こうしたコメントをするサヨクは「みんな一緒になるべきだ」という前提による極端な同質化幻想を抱いている、ある種の「わかりあい主義」らしいんですね。でも、ちょっと変ですよね。ボクはリベラル系の人間ですけど、リベラリズムの基本原則は「相いれないものとの共存を肯定する」だったハズです。従って、上記の「わかりあい主義」は少なくともリベラリズムとは180度違うワケです。

サヨクって「自分の意見を全体に拡大していく人」でしたっけ。うーん。ボクの認識が間違っていたのか?ていうかそれって極端に言えば北朝鮮っぽくないか? 無理ですよ。全体に拡大するなんてさ。個人には個人の意見があるんだから。ですから、どこかで線を引いて「断念」して下さい、というか、するしかありません。

それでもサヨクは「断念」しない。日本のサヨクの特徴なのでしょうか。よく知りませんがアホらしいです。ボクはこうしたサヨクのアホらしさに呆れて「断念」してしまいます。ですからサヨクではないものに期待をする「しかない」のです。これが「せざるを得ない」理由です。恐らく大卒サヨクあたりがボクに共感できないから批判するのでしょう。どうでもいいですよ。だって最初から期待してないからさ。無駄にトラフィック増やすなタコ!

以上。

メール:kaname666@gmail.com