氷河期世代の形成と赤木智弘――不平等社会には赤木の出現は当然だ

 こんにちは。小林拓矢と申します。
 本業はライターをやっています。私は「氷河期世代の形成と赤木智弘」と題し、氷河期世代から赤木智弘が生み出されるのは必然だった、という話を書いて行きたいと思います。
 第一回は「不平等社会と赤木智弘」です。
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 赤木智弘について、私は詳しいことを知らないし、会ったことはない。30代前半のフリーターで、栃木県に住み、専門学校卒で武田徹のジャーナリズムスクールに通っていたという話くらいしか知らない。だが、赤木もしくは赤木と同様な主張をする人は、出現する可能性が非常に大きかった。
 赤木的議論が生み出された背景には、長きにわたる就職氷河期がある、とは一般的には言われそうだ。28歳の私も、早稲田大学(わざわざ書くのは、ランクの低い大学だけがそんな思いをしているわけではない、と示したいから)を卒業しても職はなかったし、周りにも職なく卒業した人が多かった。不遇な生活をする中、社会に対し何らかのルサンチマンを抱える同世代は多いはずで、匿名掲示板の雇用労働関係の話題にはその世代の苦しみが書き込まれることがよくある。
 だが、日本はとっくに流動性なんて失われていた。氷河期中期の2000年に刊行された佐藤俊樹不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書)』によると、上位の階層の世代間継承が強まっているという。知識エリートは再生産され、格差は縮まらないと述べる。この議論は、1995年の「社会階層と社会移動全国調査」を基にして提示された。SSM調査と通称されるこの調査は、2005年にも行われ、近いうちに結果が公刊されるだろう。
 私が2000年にこの本を読んだとき、嫌な感じがしたものだ。上位階層が相続され、参入が極めて難しいのであれば、意欲を持ったり努力をしたりすることが無駄だと言われているようなものだ。すでに階層社会になっていて、そこに新参者が出現することは喜ばれない。ホワイトカラーの上位層が、親子で継承され、参入はしにくいことが指摘されている。非ホワイトカラーの出自の私にとって、暗澹たる気持ちにさせられるものだった。
 赤木の議論のポイントに、「社会の流動性」がある。流動性が低まれば、そのために戦争を、と割を食っている人たちは考えてしまう。戦争ぐらいの大きな社会的イベントがないと、コチコチに固まった社会システムは壊れない。
 実際のところ、赤木は戦争に勝ちたいとは言っていない。ここはポイントで、日本も民主的な社会になったのは戦争に負けたおかげである。敗戦がなければ、財閥も寄生地主も無くならなかった。戦争のように社会を破壊させるものがあってはじめて、硬直した社会構造から逃れられるという指摘を赤木はしているのだと考える。
 日本はすでに、「総中流社会」や「平等社会」ではない。赤木は平等であることを誠実に希求している。「平等」というのは、本来ならば左派の提示すべき大切な論点である。「戦争」という言葉だけに反応してはならない。
 赤木智弘は、不平等社会に置ける左派の一つのあり方として必然的に出現しうるものである。

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ライター 小林拓矢
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