赤木智弘を札束でひっぱたけ

 最近エントリーがないので、ふと思ったことを。
 赤木氏の著作が出たことで、本人がインタビューを受けたり、記事を書くようになっている。それ自体は、めでたいことだ。
 だが、少し懸念していることがある。基本的に、取材費が発生する仕事をしていないのだ。せいぜい、書籍費や資料代程度で、これまでの「蓄積」を生かすような仕事しかしていない。
 赤木論文と、『若者を見殺しにする国』の範疇を越える仕事は、ゲーム関係以外していないように思えるし、本格的に取材をして文章を書いた、というのは見たことがない。これは私が知らないだけかもしれないが。
 これは、赤木氏自体を批判すべきということではない。むしろ、赤木氏のこれまでの仕事を見て、過去の仕事の枠組みを超えうるような仕事を発注しない編集者に問題がある。インタビューや、座談会でこれまでの主張を反芻する仕事では、過去の縮小再生産でしかない。
 赤木氏も、大して金はないと思う。本格的に取材して何か書こうにも、金銭的に厳しいだろう。この状況は、私も陥っている。
 いいものを書くには、丹念に取材したり、資料を大量に集めたりと、手間暇かかる。出版業界が厳しいことは分かるが、書き手がワーキングプア状態で、その結果出版されるものが面白くないと、業界自体が衰退するだろう。
 猪瀬直樹氏は、『ミカドの肖像』を書く際に、「相当の準備期間と取材費がかかりますよ」と、週刊ポストの編集長に述べたという。編集長は、連載が始まっていない時点での支出を認めた。また、週刊文春では、編集長が猪瀬氏の前に札束をポンとおいて「すぐに出張に行ってくれないか」と言った。
http://www.inose.gr.jp/profle/bonjin/1983_2bonjin.html
 この辺の話は、今の出版界に欠けているところである。
 今の赤木氏に必要なことは、赤木論文から一歩進んで、新しい作品づくりをすることである。
 そのためには、編集者には赤木氏のところに取材費になるような札束を持っていって、その札束で顔をひっぱたいて渡してほしい。しっかりとした取材費を先に出せば、いい取材は出来るし、新しい境地も開ける。
 現実のところ、若いライターは少ない。特に社会問題を書くライターは、20代では日本に10人しかおらず(私の推計)、30代でも若手の部類に入ると考えられる。なにせ、同世代の書き手に出会うことが私にはない。若いライターを札束でひっぱたいて仕事させる出版社が少ないからだろう。
 赤木氏が成長するために、誰かが札束でひっぱたくことが必要である。


 無論、私を札束でひっぱたいてくれるのも、歓迎する(笑)。