戦争がマジで希望だった時代。

日中戦争下の日本 (講談社選書メチエ)

日中戦争下の日本 (講談社選書メチエ)

 賢明というより感がいい赤木さんは「戦争」という言葉へのこだわりはない。だが僕はこだわりたいね「戦争」という言葉に。「戦争」という言葉にこだわることで現在の困難さがより明確になると思われる。

赤木さんの文章を読んで『言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家 (中公新書)』の内容と重なるな〜と思ってました。



凄い本が出ました。日中戦争下の日本において「社会的承認」を求める兵士&「富の再分配」を要求する農民。・労働者が戦争を通じて実現しようとし、そして実現していった様を見事に描き出した本。「70年前も赤木智弘いっぱいじゃん」って爆笑しながら読んでたんですけどwあとがきを読んだら「意識してたんかい!!!」てな驚愕を受けた。修正資本主義の誕生はソ連の誕生もさることながら、第1次大戦の衝撃を受けての総力戦への対応が決定的に重要だった。国民の皆様を戦場&銃後に動員するためには再分配を行わなければなりませんから。戦間期にかけて様々な提案がなされ挫折していった。
そのような問題が戦争協力を通じて一気に実現するのである。社会大衆党も長年の政治目標であった電力国有化なんかを実現するわけです。農民は小作料の値下げを実現するし、労働者の給料も上がる。社会も標準化しますわ。最終的に日中戦争の泥沼化と対米開戦で全てが破綻したとはいえ、ある程度のものが実現したという事実は重い。
 ちなみに軍需で雇用が調達できれば「戦争」を行わなくても、人を一人も殺さなくても富の再分配はせきる。そんなの世間の皆様が認めないだろうけどw

 しかし、現在は絶望的だよね。当時はマジで「希望は戦争」だったけど(かのように見えたけど)、今じゃ戦争できないしね。赤木さんの発想古いんだよね。70年前の発想だから。そこらへんのとっころもわかってるから「戦争」という言葉にこだらないんでしょう。いざ戦争になっても総力戦になることはなく、職業軍人が行くんでしょう。フリーターはいらない。社会的承認は得られない。*1



 ここからは妄想というか構想というかよくわからないもんなんですけどw戦前の日本の経済構造は対中輸出と在華房(中国における現地生産)に依存する形態をとっており、対外輸出と工場の海外移転が行われている現在のグローバル化経済はかなり似ていると言える。圧倒的な内需の拡大が行われていた高度経済成長期とは対照的だろう。言説の類似性の背景と言えるかもしれないし言えないかもしれない。そうゆう研究ができたらいいなと思う。赤木さんはいいヒントをくれた。

http://d.hatena.ne.jp/syakekan/

*1:小熊 徴兵制とかで大量の兵隊を動員する戦争は、もう昔話なんです。今の先進国の戦争は誘導ミサイルとかの精密兵器が主役で、大量の兵隊は必要ない。最後に攻めこむのに少し歩兵が要るだけで、それはアメリカなら人種的マイノリティが多い。つまり歩兵なんて今の軍隊では最下層の3K労働者なんです。後方にはミサイルを操る技術職がいて、さらに後方にいる指揮官や幹部候補生が軍隊の出世組です。http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20070712/p2