その時、「平和は希望」と言っちゃうのか

論座 2007年 04月号 [雑誌]ルポ 最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書)貧困襲来戦争が遺したもの
 赤木智弘氏の本は 『若者を見殺しにする社会』というタイトルだと言うことですが、本音のところでは、医療保険(まあ、マイケル・ムーアの映画『シッコ』を見るとアメリカよりだいぶマシだが、カナダ、フランス、イギリスと比べると落ちるなぁ)、年金の体たらくを見ていると、これからの人(若者たち)が年寄りに成る頃は、悲惨な『年寄りを見殺しにする社会』が到来するのかと、そして、今、現在進行系で「ジジィ・ババを見殺しにする時代」の足音が併走して聞こえます。
 恐らく、ここに言う赤木さんの「若者」は「就職氷河期世代」とイメージしていますが、勿論、この世代でも、日経連が95年に出した「新時代の『日本的経営』」における仕分けでは、(A)や(B)の若者がいるのは当然で、本書の「若者」は(C)の「若者」を中心にフォーカスしているわけで、他方、かっていい思いをしたかもしれないが、ジジィ・ババ達は、今の時点、これから、排除の対象として身も蓋もなく、事態が進行するんだろうとの予感があります。
 生産性もないのに、湯水のようにふんだんに使ってしまう医療・介護をなんとか、縮減しようとして、『シッコ』のアメリカに方向指示器を向けている感じがします。他方で「雇用柔軟型グループ」を巧妙に利用した経営の舵取りを行う。
 A:「長期蓄積能力活用型グループ」(期間の定めのない雇用契約
 B:「高度専門能力活用型グループ」(有期雇用契約)
 C:「雇用柔軟型グループ」(有期雇用契約
 「そこへ彗星のごとく登場したのが、従来の正社員に替わる派遣労働者だったのである。」と書いて、生田武志『ルポ最底辺 不安定就労と野宿 』ちくま新書)を評しているbk1の書評者は、僕の書評と対極にあるわけで、まさに管理人さんが登場してみていいんじゃあない、と思う(笑)、典型的な右のトライブかもしれないが、彼の言うことは身も蓋もなく説得力がある。
 生田は「経済的貧困」だけではない「関係的貧困」の重要性を指摘するが、「関係的貧困」は「社会的承認」の問題につながるでしょうね。
 (1)資本、(2)国家、(3)家族と分類して生田は問いを立てているが、「もやい」の湯浅誠の新刊『貧困襲来』(生活保護費自動計算ソフト付き)によると、「貧困」を決めるのは単に金ではなく、五重の排除があると書いている。それはまさに「関係的貧困」、「社会的承認」に繋がる。1:教育課程からの排除、2:企業福祉(正規雇用)からの排除、3:家族福祉からの排除、4:公的福祉(生活保護など)からの排除、5:自分自身からの排除(自己責任)
 この五つが重なって人は生活困窮フリーターとなり、もっと広く言えば<貧困>になる。と湯浅さんはおっしゃる。赤木さんは、5:(自己責任)の落とし穴だけは、何とか落ちないように、赤木さんらしい戦略で戦ってきたし、これからも戦うのでしょう。でも、危惧することは、ある面では仕方がないことかもしれないけれど、個人的には祝福すべきことかもしれないが、2:の正規雇用が、決まり、結婚して、家族を持ち、3:の家族福祉を手に入れた場合、赤木さんの戦いは終焉するのかと言うことです。
 その時は多分、「平和は、希望」と言っちゃうのだろうなぁ、
 僕は現在3:の家族福祉と年金で、「老・老」(合計年齢153歳)相互扶助・介護で、何とかやっているのですが、「戦争は、希望」というほど追いつめられていない。というのもあるけれど、鶴見俊輔『戦争が遺したもの 』で吐露したように、「自死の思想」は違和感があるものの、鶴見さんの切実な声を聴き取る感性だけは保持したいと思う。その場になったとき、どのような行動をとるのか予測がつかないけれど、最低限の誇りだけは手放したくない。
 参照:2007-09-06
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070912k0000m070169000c.html
    http://d.hatena.ne.jp/ochame-cool/20061229/p1